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     『「
なにわ

                                  復活を目指して!』
天王寺蕪
大阪生まれの天王寺蕪
飴の豊下
 「なにわの伝統野菜
                               
野沢菜のルーツは天王寺蕪
  1756年(宝歴6年)、健命寺の住職、晃天園瑞(こうてんえんずい)和尚が、京遊学の土産にと天王寺蕪の種を持ち帰ったことに始まります。種を寺内の畑にまいたところ、野沢温泉の気候と土質が影響して蕪は育たず、代わりに葉や茎の部分が巨大に成長して野沢菜が誕生しました。    

健命寺の菜の花畑

大阪市天王寺付近発祥の伝統品種である。切れ葉と丸葉のタイプがあり、根身は純白で扁平である。地上部に浮き上がるため、「天王寺浮き蕪」ともよばれる。「摂陽群談」などにも「形平均(ひらたく)大にして草葉少し味甚甘くして如も軽和(かろくやわらか)なり。乾蕪として諸国に送る。西成郡木津、今宮の辺住吉郡に懸て作得たりと云えども皆天王寺蕪の名を以て市店に所商之也」との記録があり、そのほか「毛吹草」、「和漢三才図会」、「成形図説」にも同様の記載がある。「名物や蕪の中の天王寺」と蕪村に詠まれているほどである。天王寺付近で栽培された蕪は今宮、木津、さらに住吉の依羅地区から大和川沿いに栽培がその後広がっていったが、大正に入り、とがり蕪の出現によりその生産は減少していった。

 「なにわの伝統野菜」(平成13年3月、農林水産業振興事業実行委員会発行)から転載

関連リンク 天王寺蕪復活の立役者・石橋明吉