飴の豊下 「なにわの伝統飴野菜」
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江戸時代の「毛吹草(けふきぐさ)」に「摂津天満宮前大根」、「摂陽群談」に「同所天神社の辺より、北の田圃の間に、種を求めて作之、遠く去て種を変ず、因って近里の外に不出、凡て宮前の号あり、形小して長し、多は河内国守口村に求て、酒糟に点じて、桶に移し蓋を覆い守口漬香物と銘して、諸国に送る」とある。江戸時代は「宮前細(大根)」がまた、明治になってからは「美濃大根」が守口に送られ、守口漬にされたことから、この守口漬に用いられる大根のことを守口大根と総称するようになったものと考えられる。そして、守口漬は味醂粕を用いた独特の製法の糟漬けで、徳永家文書によれば「その風味は格別と太閤が守口本陣吉田八郎兵衛宅へ止宿したとき食膳に供し大いに賞賛して“守口漬”と名付けたと」伝えられ、時に天正13年(1585年)であったという。もともと、約1.5cmの太さで、長さは70〜80cm程であったが、その後改良され現在のように1.3mと長くなった。明治の終わり頃までは守口で栽培されていたが、都市化の影響で今は全くその栽培がない。 |
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「なにわの伝統野菜」(平成13年3月、農林水産業振興事業実行委員会発行)から転載
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