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     『「
なにわ

                                  復活を目指して!』
勝間南瓜
西成区玉出町(旧勝間村)特産。





 なにわの伝統野菜
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 なにわの伝統野菜
映画化された今東光の小説で有名に
   生根神社にある「こつま南瓜塚」は、同神社の宮司さんによると、勝間村の名産のひとつに「勝間南瓜」があり、冬場の非常食や中風よけのまじないとして、勝間商人によって売られた。 塚ができた謂れは、江戸時代に飢饉があり、その時、勝間南瓜を食べて、人々は飢えをしのいだそうで、人々の命を救ってくれた南瓜をお奉りしようと塚を作ったのだそうである。      
 (所在地:玉出西2−1)

【勝間南瓜】
 『かすかェェ聞こゆるョィョィ太鼓の音はヨイセアメセあれはナァ−ェ 勝間のサァ−レェナコ 夏祭・・・・』(生根神社「だいがく」音頭より)
 勝間南瓜はかつては勝間村と呼ばれていた、現大阪市西成区玉出付近産のカボチャです。現在は市街地化していますので、農地はありません。
この玉出にある生根神社では、幾重にも積み上げた御神燈の上段に二層の笠を掛け、さらに神楽鈴を頂いた櫓に台をつけて舁き、太鼓を打ち鳴らして雨乞祈願をする夏祭り、「だいがく」が7月24・25日に執り行われます。この祭の起源は第56代清和天皇の御代にまで遡ります。この「だいがく」の頃までに収穫されるなにわの伝統野菜の一つが勝間南瓜です。およそ900gとやや小振りですが、実が締まって粘りがあり、味が非常に良かったことから、勝間木綿とともにこの村の特産品でした。生根神社の宮司さんのお話では白い茄子も名物やったそうです。大阪では、艶っぽい女性の形容のひとつに、「勝間南瓜みたいな」という表現があります。色は黒うて小柄やけど、肌理細かで、ちょっとぽっちゃりした人(ふくよかな)のことを指すのですが、言い得て妙ではあります。今では上方古典落語のなかくらいでしか使われません。そうそう、今東光さんの小説、威勢の良い河内娘「小春」の波瀾万丈の半生を描いた『こつまなんきん』(S35,1960)、覚えてはりますか?そこそこの年輩の方なら関西人ではなくても聞き覚えがあるかも。あれがその勝間南瓜のことですわ。因みに今東光は横浜出身、『お吟さま』で直木賞作家となり、『闘鶏』、『悪名』などの河内物で有名です。八尾西山本町の天台院の住職でした。最晩年には瀬戸内寂聴さんの剃髪をしています。
 話を南瓜に戻します。万延元年(1860)に勝間村の庄屋他百姓代が、天満の青物市場問屋年行司あてに、野菜七品目に限り同村内での「立ち売り許可願」を申し出たという記録があります。その中に「南京瓜」とあるのが勝間南瓜と考えられています。昭和10年代までは、大阪市南部地域で栽培されていたのですが、都市化の煽りで産地の移動が起こったり、食の洋風化のために西洋カボチャに取って代わられたりして途絶えていましたが、平成12年に木津市場の漬物店主、石橋明吉氏がたまさか和歌山の農家で種子を探し当て、今また甦りつつあります。
 冬至には全国各地で、風邪除け・中風封じ・魔除けを祈願し、柚子湯に入り「冬至南瓜」を食する風習がありますが、生根神社では古来より冬至に行われている「勝間南瓜神事」で、参詣者に振る舞う従姉妹煮(南瓜と小豆の煮物)を、平成13年からこの勝間南瓜にかえて振る舞っています。いちどお試しあれ。本来、南瓜は夏野菜です。冬至に食べる南瓜は、収穫シ−ズンの終い頃に熟れきって真っ黄色になったものを、保存野菜として長期間囲ってあったので、ぐみぐみ(実が痩せてスカスカの状態)になっていたものです。今ではハウス栽培や、南半球からの輸入品が出回るので、美味しく戴けるようになりました。これもいったい喜んで良いのやら

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