来歴と特性
聖徳太子が村(現南河内郡太子町)の叡福寺に墓地を造営する際、奈良の法隆寺から持ち帰った里芋であるという伝説がある。石川早生の名前の由来は、大和川の源流の一つである石川の流域にあった南河内郡の石川村(現河南町)がこの芋の原産地とされることによる。「成形図説」の記述から、当時すでに石川早生の系統分化があったものとみられる。石川早生は別名「かけ」とも呼ばれ、葉柄の下の方に、あたかも着物の襟をかけたような状態で黒褐色の部分が判然と現れることから言われている。芋の形から丸と長があるが、大阪では丸形の方が早生性が強いとして種芋を選び、マルチ栽培による早出しが行われるようになり急速に普及した。粘質で味が良く、品質のよいことから他府県にも種芋として流通している。
料理例
煮もの、里芋チップ
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