新京橋商店 
文久3年(1863)の『大阪名物大略』に唯一‘毛馬胡瓜’の記載があった。都島区毛馬町の地名がキュウリの前に付けられている「毛馬きゅうり」の復活を願って「新京橋商店街」で催し物が開催されました
「毛馬きゅうりの苗の配布」や「伝統野菜の即売」などイベントも多彩
豊下製菓は「毛馬きゅうりのスムージ」の販売を行います

7月のイベントでは毛馬胡瓜の品評会や前回に引き続き石橋さんの糠漬け講習会などが行われ前回に引き続き多くの人出で賑わいました。
豊下製菓も伝統飴野菜をはじめフルーツキャンデーなどのほか
毛馬胡瓜の綿菓子などを販売しました。
ブースでは5月に買っていただいた方も多くみられました。ありがとうございました。
イベント案内
7月5日・6日
11:00〜20:00

毛馬胡瓜
  品評会
毛馬胡瓜の糠漬けの講習会をする石橋さん
商店街役員(左)森下先生(中央)松下さん(右:農家) 5月にもらった苗からキュウリができました
感謝状とホームページ管理者

京街道の歴史

京街道は文録3年(1594)から慶長元年(1596)にかけて行われた、淀川左岸の築堤事業に伴う堤防道として誕生しました。この街道は大坂と伏見を結ぶ最短路でした。江戸時代に入り大坂が幕府直轄地となり、京街道は幕府の公用道路として参謹交代の大名などが往来しました。また、経済的地位が高まった大坂を重視して、それまで三条大橋を終点としていた東海道が大坂まで延長され、京街道は東海道として公認されました。
元来大坂城の京橋口の北の京橋を起点とし、京都の鳥羽口と伏見の京橋を終点としていた京街道は、明治に入り道路行政上の理由から、高麗橋元標(現大阪市中央区)を起点とするようになりました。京街道の大阪府下の長さは約29キロメートルで、高麗橋元標から京橋、片町、野田橋、今市、守口、左宗の辻、磯島、渚、三栗、上嶋、楠葉、を経て京都府との境、八幡氏橋本小金川に入るルートをとります。
江戸時代、京街道には、守口宿、枚方宿、淀宿、伏見宿の4つの宿駅が置かれていました。残念ながら現在その面影を残す景観は失われつつあります。現在京街道を偲ばせるものとしては、京橋一丁目の日本経済新聞社前の石垣、片町二丁目の「なだばし跡」、守口市本町一・二丁目の道筋などが残っています。
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