十八屋弥兵衛のひとりごと vol.6

-なにわの伝統野菜 その三-

飴のうんちくや日記の紹介
大阪に伝統野菜?
 伝統野菜と言われて、だれもが最初に思い浮かべるのは京野菜。少し詳しい人なら加賀野菜をあげるかも知れない。なにわ野菜をあげる人はまずいないだろう。ところがである、今の大阪からは想像すらできないことだが、「摂河泉(せっかせん)」すなわち大坂を囲む摂津・河内・和泉の三国は、古くより野菜の栽培好適地だったのだ。それは今の大阪湾の内側にあったもう一つの入り江、八十島を浮かべた入り江が、琵琶湖を水瓶とした瀬田川と木津川が合流した淀川と旧大和川の運ぶ土砂によって、長い年月をかけて河内潟となり、河内湖となり、しまいには八尾と言われる中小の支流をもつ扇状地を形成し、現在は低湿地すら見られなくなっているのだが、海退とそんな川が運んだ土砂よって、野菜の生産に適した砂質土壌となっていたのだ。しかも、なにわの地は朝鮮半島や唐天竺・南蛮からの玄関口として機能していた時期も長く、外来の新品種の取り込みも早かったらしい。また、古代より都市となったり、田舎となったりを幾度も繰り返していた。朝廷や貴族・社寺の御厨(みくりや)や供御所(くごしょ)や荘園として機能したり、本願寺寺内町以降は都市近郊農家を形成した。単一作物の大規模栽培と、自給自足型の他品種少量栽培が混在していたので、干瓢や天王寺蕪の干し蕪などの乾物がみられる一方で、泉州水茄子のような特定の地域でしか栽培出来ない作物も栽培されていた。
十八屋弥兵衛 謹白